妙光院の縁起

天武天皇の勅願により、大宝3年(703年)鎮護国家の為に京都の京極に建立。戦乱等の為に一時衰微したが、後陽成天皇の勅命により、天海和尚が、京都の山科に再興された。

 

妙光院・第24世 圓照和尚は、将来の発展性を考え明治41年、現在の地に移転を決意。まず庫裡を建て、次いで翌年、久邇宮家ご下賜の聖天堂を現在の地に移し、大正9年本堂を建立。ご本尊・開運毘沙門天王を奉安す。更に昭和8年、動物愛護精神普及の為に、馬頭観音菩薩を造立。

 

馬頭観音大士は高さ6米(台座共10米)で青銅の馬頭尊としては我が国最大の尊像であり、その信徒は広く全国に及んでいる。

高松宮殿下には、戦後2回ご台臨の上、青銅製香炉のご下賜があり、又、秩父宮妃殿下もご参詣の光栄に浴している。

阪神淡路大震災後、聖天堂を建立時のままに彩色修復、又庫裡を再建し、現在に至っている。

年表


大宝三年(703年)

人皇40代・天武天皇の勅願により、京都京極に建立



第107代・後陽成天皇の勅命によって、慈眼大師天海大僧正が京都山科の地に再興



明治41年(1908年)

当山第24代、尾市圓照大僧正が将来の発展の為に現在の青谷の地に移す



聖天堂を山科より堂宇ともに移築。

本尊の聖天尊は、久邇宮朝彦親王が、京都栗田御所(現:青蓮院門跡)御在中の御念珠尊であったが明治4年、御還俗の際に堂宇ともに下賜された。

山科の地にあったが、先々代圓照大僧正が奉戴して現在の地に移された。



大正9年(1920年)

毘沙門堂の堂宇が新築される。

本尊の毘沙門天は、天武天皇の勅願によって、文武天皇により勧請されたもの



昭和8年(1933年)

馬頭観世音菩薩の尊像。

重要無形文化財匠・第28世 大谷相模椽隆義師によって造立。



昭和14年(1939年)

当時、陸軍獣医中将・柏五郎閣下が、蒙古最高顧問として赴任される道すがら、動物愛護祈祷の為、当院に参詣された。蒙古国の王、徳王の懇請もあって、馬頭観世音尊像の分身が蒙古の張家口に祀られる。



昭和25年(1950年)

高松宮宣仁親王殿下にご台臨頂く。



昭和25年(1950年)

妙光院幼稚園を創立  ※平成7年の阪神大震災の為、閉園



昭和42年(1967年)

集中豪雨で山津波に遭う。しかし、馬頭尊の胎内に奉安されていた本尊の原型はなんの損傷もなく現地にお立ちになっていた。



昭和43年(1968年)

馬頭尊再建。大谷相模椽隆義師、全国信徒の協力にて成り立つ。

 

開眼慶讃大法要には、高松宮宣仁親王殿下の御臨場を仰ぎ、天台座主・即真周湛猊下ご新修のもと厳修された。



昭和45年(1970年)

秩父宮勢律子妃殿下に、ご台臨頂く。